みずほ銀行オンライン・システム障害について 〜 注33

公開: 2021年11月28日

更新: 2021年11月28日

注33. 富士銀行

1876年、江戸の商人、安田善次郎が、川崎八右衛門と共に大阪に拠点を置いた第三国立銀行を設立した。1880年に、第三国立銀行と安田商店を合併する形で安田銀行を設立した。その後、第一次世界大戦と関東大震災を経て、社会が不安定化する中で、信用を積み、1923年に親密だった13行が合同して、日本で最大規模の民間銀行として、(新)安田銀行が誕生した。

安田銀行は、その後も日本最大の民間銀行として日本の経済を支えた。しかし、第2次世界大戦に敗戦した日本を統治した連合国軍総司令部(GHQ)が実施した、「財閥解体」によって、1948年、安田銀行は安田財閥とは独立した民間銀行の「富士銀行」として再出発した。その後も、1971年の第一勧業銀行設立まで、富士銀行は日本最大規模の銀行であった。

1960年代に始まる銀行オンラインシステム化において、富士銀行は、米国資本のUNIVACと三井物産が設立した日本UNIVACのシステムを採用し、1966年、普通預金処理のコピュータ化に成功した。その後、1970年代に入って、銀行の第2次オンライン化が始まり、富士銀行は日本IBMを主ベンダーにして、開発を推進、1978年に新システムへの移行を完了した。

このUNIVACを中心としたシステムから、IBMを中心としたシステムへの移行は、コンピュータの設計が全く異なっていたため、多大な労力の投入を必要とした。この困難なシステム移行の経験で、富士銀行のシステム部門が学んだことは、多かった。ベンダー側のIBMにとっても、巨大な銀行システムのシステム開発は容易でなく、大変な努力を必要としたと記録されている。

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